モッティの日記

Twitterの備忘録や音楽や映画...

死にたいです

‪なんか…なんというかこう…うーん…‬

‪人生ってうまくいかないもんだよね。‬

いや、生きてて100パーセント自分の思い通りにいくなんてことないのはわかってるし、

自分にとって何が幸せか変わるもんだし、

うまくいかないからこそその時々で自分でどうするか考えたり試したりして、成長していって、それが人生なんだって…分かってるけどさ…

‪それでも思う…なんでこうも自分は人間関係うまくいかないのか、友達や彼女できないのかって…‬

分かってるよ、自分が悪いところがあるだろうことも。

俺以外の人から見て、お前なぁって思うところがあるだろうことも。

なんとなく自分でも感じるし、実際他人からも言われるし…

‪自分がここ悪いなと思ってた部分…主に人のことを考えられないとか人の意見をちゃんと聞けない、自分のことしか考えられてないっていうところを、‬

いろんな人のコミュニケーションを見たり、本や記事を読んだり、人と話せない時は自分の頭の中でもう1人の自分を作って会話をしてみたり…

‪そうやって自分なりに、今でも下手くそだし自己中なところあるけど、‬

それでも今までの自分より少しでも今の自分を良くしたいと今も毎日…自分が嫌いとか早く自殺したいって感情と戦いながらも自分なりに考えたり努力したりして

人のことを尊重したりうまく人間関係作れるようにしてきたつもりだけど…

‪それでも人間関係うまくいかない。‬

仲良くなれても、すぐに人から縁が切られる。

自分なりに人の話聞いたり話題を振ったり考えたりして、それを褒めてもらえることもあるけども。

俺は人から褒められるために、褒めて欲しいからやってるんじゃない

少しでも長く良好な人間関係作りたいだけなのに

‪なにもかもじぶんのせいにされる。‬

なにもかも、たにんはじぶんのことをたなあげにしておれのせいにする。

いっつもいっつもそんなことばっかりで。

おれからはひとをせめたことなんてほとんどない。ひとのせいにしたらじぶんがだめになるきがするから。

でもそしたらそしたらでわるものあつかいされる

‪おもえばしょうがくせいのころからかおのことでいじめられて、‬

しょうがくせいのときはずっとそれがついてまわってきてて、

ちゅうがくでもかおのことはいわれて、でもさいこのいちねんかんは、はじめてじさつしたいとおもうくらいのがっこうのみんなからのむしやさべつをされて。

‪そのとうじ、おやにもがっこうのせんせいにもそうだんしたけど、だれもとりあってくれなかった。‬

だれかとはなしあいのばをもうけるとか、おれのはなしをきく、なんてことすらだれもしてくれなかった。

おもえば、あのときなんかいかじさつみすいしたけど、やっぱりあのときしんどきゃよかったかなって

‪おもいかえせば、‬

べんきょうやすぽーつとかげーむとか、

じぶんのきょうみあったりすきなことではあるていどけっかのこしたりできてたけど、

にんぜんかんせいはぜんぜんうまくいかなかった。

うまれたときからいままでずっと。

‪だいがくせいになって、‬

そんなこうこういぜんのいままでのじぶんをふりかえって、

やっぱりこのままのじぶんではだめだとおもって、

ひとのはなしをきくのがうまいひとのてれびなりらじおのとーくをみたりきいたり、

いろんかどうがをみたりじっさいのひとのかいわをきいたりしてべんきょうした

‪いままでじぶんのことしかみえなかった、みえてこなかったから、‬

にんげんかんけいうまくいかなかったから、

すこしでもよくなればいいなとおもって、

じぶんなりにひとのことをかんがえるように…かんがえられないなら、すこしでもひとのことにめやかんがえがむくように、がんばってきた。

‪でも、それでも、‬

ひとからそういうどりょくやしせいをはめてもらえることはあっても、

それがともだちとかかのじょとか、

じぶんがのぞんでた、うまくいってるにんげんかんけいづくりには、

にんげんかんけいにめぐまれて、たのしくてしあわせなまいにちをいきてるまいにちに、いまもなってない。

‪もちろんいまもにんげんかんけいうまくできてるとは、こみゅにけーしょんうまくできてるとはおもってない。‬

へたくそなのはわかってる。

じぶんのせいかくがわるいのもわかってる。

じぶんがくそなのもわかってる。

どりょくしてもぜんぶうまくいかないのもわかってる。

‪でも、もうつかれた…‬

これいじょうがんばることも、これいじょうじぶんがせめられることも。

じぶんなりにやれることをやってきて、

これいじょうなにをすればいい?って。

そんなにおれをわるものあつかいしてたのしいのか?って。

もうかんべんしてくれって。

‪いっつも、いっつもいっつもいっつも、‬

じぶんだけむしされて、きらわれて、なかまはずれにされて。

じぶんからこえかけたって、

そのひとのきおくにはおれのことはのこってなくて、

だれからもひつようとしてもらえることはないし、

じぶんはかやのそとというか、いないものあつかいされる。

‪おれいがいのひとはいいよな。‬

おれいがいのひとはかまってもらえるし、たすけてもらえるし、ぎもんやしつもんなげかけたらだれかしたらこたえてくれる。はげましてくれる。

おれなんかはげましてくれるひともたすけてくれるひとも、じぶんからおれにこえかけてくれるひともいない。

‪もしいまのおれがだれともれんらくとらなかったら、だれにもじぶんからこえかけなかったら、‬

ほんとにおれのことなんてわすれられるんだろうなっておもう。

だれもおれのことなんてきにかけてない、しんぱいしないんだろうなって。

だって、ふだんから、ひとかられんらくくれることないし。

‪それってほんとうにじぶんがこのよにじぶんがいきてるのかなっておもう。‬

だれからもあいてにされてない、

だれからもにんしきされてない。

じっさいちゅう3のいちじきはそんなかんじだったけど、

それはいまもやっぱりよくかんじる。

ほんとうにいまげんざい、それをかんじる。

‪いまのよのなか、‬

ひととれんらくとるほうほうはいくらでもあるのに、

むかしにくらべれば、ひととれんらくとるのはかんたんなはずなのに、

なんでこんかにもひとのつながりがないんだろ。

なんでひとって、ひとのえんをすぐきろうとするんだろう。

へんなはなし。

‪なんでみんなそんなにひとをむしするの?‬

なんでそんなにひとをなかまはずれにするの?

なんでそんなにだれかをきめつけたりするの?

そうすることでじぶんのなにをまもってるの?

じぶんがそんなことされるがわにたたされて、うれしいとおもうの?

‪ほんとにふしぎでしかたがない。‬

そういうことをかんがえられるあたまが、そうぞうりょくがあれば、

そんなきめつけ、むし、なかまはずれとかってするはずないのに。

ずっとこれをかいてきてるのに、

なんでだれにもこれがつたわってないんだろ。

なんでみんなひとのことをかんがえられないんだろ。

‪ねがてぃぶだとか、かんがえすぎだとかいろいろいまでもいわれるけど、‬

ねがてぃぶなひとをねがてぃぶってきめつけたとして、

そのさきになにがあるの?

ねがてぃぶってきづけたなら、そのひとをはげますなり、たのしいはなしでもして、まえをむかせようとすればいいのに。

‪ねがてぃぶだからってそのひとをむししたり、けいえんするのって、いじめじゃないの?‬

なかまはずしじゃないの?

じぶんがねがてぃぶなきぶんになったとき、それでだれもたすけてくれなかったとき、

ねがてぃぶなひとのことを、あなたはせめられるんですか?

‪ねがてぃぶなひとをだれもはげまさないで、‬

けむたかだったり、むししたり、なかまはずれにしたりするひとばっかりのよのなかになったら、

ほんとうのいみでこのよのなかがおわるとおもうよ。

そこにはおもいやりもたすけあいもなにもないんだから。

‪だからおれは、‬

ねがてぃぶだったりおちこんでるひとのことをみたら、

じぶんなりにうけとめてあげたり、わらわせたりして、

すこしでもまえをむいてもらえるようにしてつもりなんだけど。

じぶんがそうやってひとからされたいのもあるし、されたらうれしいのもあるけど。

‪でも、‬

じぶんなりにそういうひとをはげましたら、

そのひとからはうざがられたりむしされて、

おれはおれで、すこしでもじぶんのいけんをかいたら、

かんがえすぎとかねがてぃぶとかで、もんくいわれたり、むしされて…

いみがわからない。

‪なんでいっつもじぶんばっかり。‬

なんでいっつもこんなことばっかり。

なんでいっつもこんなおもいばっかり。

むしされて、

なかまはずれにされて、

けいえんされて、

そがいされて、

いつもいつもいつも、

こんなことばっかり。

‪いつもじぶんがわるいやつあつかいされて…‬

…もうほんとうにつらいすぎて、しんどすぎて、

いきるのがいやになる。

にんげんがいやだ。

にんげんがこわい。

もうなにをどうすればいいのか、

なにをすればいいのか、

なにをしんじればいいのかもわからない。

‪どうせまたいつもみたいに、‬

これだけかいても、むしされるんだろうけど。

だれにも、つたわらないんだろうけど。

‪おれがどれだけ、‬

ひとのことをかんがえてきたか、

ひとのためにじかんをつかってきたか、

じぶんのわるいところをすこしでもなおそうとどりょくしてきたか、

かんがえてきたか、

どれだけおれがおれじしんとたたかってきたか、

だれもわからないだろうし、わかろうともしないくせに。

‪おれのつらさやどりょくを、‬

だれもしらないくせに、しろうともしないくせに、みとめようとも、うけいれようともしないくせに、

おれのことだれもなにもしらない、しろうともしないくせに、

いつもおれだけわるいものあつかい、はれものあつかい、

むしされたりなかまはずれにされたり…

‪こんなじんせい、やってられるか。‬

こんなよのなか、やってられるか。

ほんとうにいきるのがしんどくてしんどくてしかたがない。

たったひとりでも、じぶんによりそってくれるひとがいたら、りかいしようとかあゆみよろうとかしてくれるひとが、たったひとりでもいいからいればいいのに。

‪このよでおれがいきてちゃだめなんだなって、いやでもおもう。‬

どうせこれもだれもみてないんだろうし。

みてても、どうせむしとかするーなんだろうし。

どれだけひとにたいしてなにかをやっても、

じぶんなりにどりょくしてもだめなんだなって。

‪おれいがいのひとがおれをむしするってことは、‬

なかまはずれにするってことは、

わるものあつかいするってことは、

おれいがいのひとからすれば、おれなんて、

はやくこのよからいなくなってほしいんでしょ。

さっさとおまえなんてしんでくれって。

じゃなきゃこんなことしないでしょ。

‪じゃあほんとにしんだろかいな。‬

どうせだれもかなしまないだろ、

というかそもそもいまおれがしんでも、おれがしんだことだれもしらないだろうし、きょうみないんだろ。

だっておれはむしされる、わるものあつかいされるそんざいなんだから。

‪おれがかんがえたりやってきたことって、‬

ほんとにむだだったのかな。

ほんとにおれがぜんぶわるかったのかな。

ひとって、にんげんって、

おもいやりって、なんなのかな。

このよにおもいやりって、ひとのあたたかさって、あったのかな。

‪おれも、もっとしあわせなじんせいをいきたかったな。‬

べつにおかねもちになりたいとか思わなかったから、

ひとなみでもよかったから、ともだちそこそこいて、

かのじょもいて、

そんなひとたちとたのしい、しあわせなまいにちをすごしたかったな。

おれはそういきたかっただけなのに。

‪いまおれが、‬

いちじかんまえから、

ずっとなきながら、ひっしになみだをふきながら、

だれにつたわるかもわからないこのぶんをずっとかいてることなんて、

だれにもつたわらないだろうな。

もじでしかこんなことあらわせないから。

だれもひとのことなんてかんがえられないから。

‪じぶんのつらさ、‬

じぶんのどりょく、

じぶんのなやみ、そがいかん、むし、いじめ、なかまはずれにされること、

じぶんなりのきづかい、

それらがだれからもりかいされないこと、

なんかいかいても、はんのうすら、しんぱいすらされないこのつらさ、

だれにもわからないだろうな。

‪たったひとりでも、‬

ぜったいてきに、じぶんによりそってくれるひとがいたら、

ぜんぜんちがったのに。

もっとこのよのなかが、どらいじゃなく、

ひとのことをおもいやれる、そんなそうぞうりょくをもってるひとだったら、

おれもこんなことおもわなかっただろうに。

‪つらいな、いきてるって。‬

…つらいのはわかってるよ、

でもこんなじんせい、あんまりだよ。

つらすぎるよ…

‪なみだがとまらん‬